スポーツの目的と空気

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日大アメフト部の悪質タックル問題、まだまだ報道が続いてますね。

スポーツには、スポーツマンシップという言葉があります。

この中で注目したいのが、ここです。

スポーツをすること自体を楽しみとし(中略)、また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向があり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマンシップの延長で見られる風習

私はスポーツマンではありません。だからこを一個人の意見とは言え、スポーツを客観的に捉えることができると思っています。
そんな自分の意見を言わせてもらえば、スポーツはスポーツをすること自体が第一目的、スポーツを行うことによって人間的にも成長することが第二目的だと思っています。
第三目的を定めるとすれば、勝利を目指すことです。
私は、この順序が大切だと思うのですが、この順序が時に変わってしまうのが問題だと思うのです。

今回のアメフト問題では、第三目的、つまり勝利を目指すことが第一目的になってしまっているように感じます。
上記目的順位に照らし合わせれば、悪質なタックルをすることがスポーツ自体を楽しむことになっていないことや、それが人間的な成長につながらないことは明白です。

そんなことは誰でもわかっているのですが、閉鎖的な集団内では、たとえそれに気付いたところで指摘しにくい、淀んだ空気があります。
この空気の力(影響)というのは、物理的な暴力のように目に見えないのですが、だからこそものすごい力を持っています。

目に見えない力は時として、国家全体を暴走させることもあります。いまだに太平洋戦争の責任を軍部の暴走「だけ」だと言い張る人がいますが、物事はそんなに単純ではありません。それを複雑にしているのが空気の力です。
また、過労死自殺やいじめによる自殺もそうです。過労死自殺やいじめ自殺が起きたとき、そうなる前に辞めればよかった、という意見が出ます。それはまさしくその通りです。重要なのは、なぜそんな誰でもがわかる解決方法を選択しなかった(できなかった)のか、です。そこには空気の力が大きく働いています。

空気の力が悪い方向へ働くときに、それから回避するための一つの手段が、空気の違うところに一旦出てみる、ということです。
私は大学卒業後に海外に行きました。当時はフリーターやニートと言葉自体が存在しておらず、それらは「無職」と括られていました。そして、無職という言葉は犯罪や社会不適合者を連想させるものでした。
その無職に私自身がなったのですから、強がっていたもののどこかで恥ずかしい思いや、焦りのようなものもありました。
ところが、海外に行って自分と同じような年齢、境遇の友達が増えるに連れて、そんな負の意識はいつのまにか消えていきました。後から考えれば、負の意識は大学卒業時の空気が私を通じて出来上がったものだとわかりました。

同じ空気の中にずっといれば、見えるものも見えなくなります。これは能力の問題ではなく、人とはそういったものだと思います。
アメフトをするにも、日大のアメフト部員が例えば別の大学の部に体験的に入部したとしたら、そこで様々な違いが浮き彫りになることでしょう。また、同じ「勝利」を目指してやるスポーツにしても違うスポーツだとまた違った空気を感じるはずです。これらは空気を変えて初めて気付くものです。
空気は見えないし無味無臭です。

スポーツの目的順位、それが歪んでいないかを冷静に判断するために、空気が違うところに身を置くことを心がける。また組織側は、空気が淀まないように換気を心がける。
そういった根本的な発想がない限り、特に根拠もない「スポーツっていうのはこういうものだ」論がいつまでも続き、同質の事件が起きてしまうのだと思います。

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