人命最優先、、、になってますか?

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大相撲巡業で、土俵上で京都府舞鶴市長があいさつ中に倒れた。観客によると、女性が土俵上で心臓マッサー…

大きな問題になってますね。
当たり前ですが、伝統が立ちはだかっても、人命を優先しなければいけません。

このニュースに対するコメントも、ほんとんどがその方向ですね。
伝統と人の命を天秤にかけたら、どちらが大切かすぐにわかるはずだ、といった様子です。
ごもっともですね。

しかし、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
このアナウンスをした人は、伝統と人命を天秤にかけたら、伝統だな、と考えたのでしょうか。
そんなわけがありません。実際に、後に「動転して思わず」みたいなコメントが出ていました。

しかし、動転して人を殺す人はあんまりいません。冷静さを欠いている状況というのは日常にも多々ありますが、そんなときでも一線はそう簡単には超えないものです。
喧嘩中に感情的になって相手を刺しちゃった、みたいな事件はありますが、今回のアナウンサーは、そこまで緊迫した場面にいたわけではありませんよね。

私は、相撲界の空気からすると、これはそんなに的はずれな行動ではなかったのではないか、と予想しています。理事長は後日謝罪していますが、あれは世間からの批判がものすごかったし、相撲協会は最近トラブル続きなので、ひとまず謝罪しないと、ということではないか、と思っています。

伝統と人命を天秤にかけて、伝統を選択するような空気なんてあるわけない?
いやいや、そんなことありませんよ。人の思想においては、人命よりもほかのことを優先するような価値観に傾くことは歴史上何度もありますし、誰にでも起こり得ることです。

伝統とは違いますが、9.11のテロを起こしたアルカイダメンバーは、自分の命よりも思想を優先してビルに突っ込みました。
戦時中の日本軍は、アメリカ兵に捕まるくらいなら、と自ら命を絶ちました。またはそれを強制されました。
ある宗教信者は、手術NGなので、助かる見込みが十分にある子どもの命を手術拒否によって奪いました。

極論すぎますか?
それでは過労死はどうでしょう。日本は過労死世界一ですが、働くことと自分の命を天秤にかけて、働くことを優先したとみなしてもおかしくありません。
まさか死ぬとは思わなかった?それは今回の件もそうです。市長が土俵で倒れただけで人命に関わるかどうかを瞬時には判断できません。しかし、その判断が遅れた時には取り返しがつかないことになっています。
今回は判断が早かったから良かったのですが、過労死の際にはいつも、そんなに追い込まれていたなんて気づかなかった、と言った周りの声をよく聞きますね。おそらく自分自身でもそうなのです。

今回の件、学ぶことが多いにありそうです。
これを、動転したアナウンスだっただけ、とか、相撲協会終わってる、と片付けるのはかなり浅い。
直接ではなくとも、間接的に人命よりもほかのことを優先している状況なんてゴロゴロあります。
もちろんそれはだめですが、もっと怖いのは、そういうことになっていることに気付いていないことです。

誰かに何かを強要しすぎて過度なストレスを与えて心を病み、最悪の結果になった、ということだって、自分のエゴを人命よりも優先した、と言われてもおかしくないわけです。そんなはずじゃなかった、では済まされません。

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