ほどほどに、ゆるやかに

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昨日のクレーマーに関する記事とも近いかもしれませんが、最近は炎上やクレーマーに敏感に反応しすぎな気がします。
10人中1人でも不快に思ったらそれを避ける、というやりかたが当たり前になっているのかもしれません。

どんなに小さな声にも耳を傾けて寄り添おう。
そんな哲学があるのかもしれませんね。

確かにマイノリティーだからといって無視して良いわけではありません。
この辺は民主主義の勘違いです。
障害者はマイノリティーですが、だからといって社会が無視するわけにはいきません。

マイノリティーにフォーカスするのは良いことです。
しかし一方、そこに寄り添って失うものもあります。

冒頭のリンクで指摘されていることはそこだと思います。
たしかに路上で演奏して誰かが不快に思うこともあるかもしれません。
その声がいかにマイノリティーであっても無視するわけにはいかないので、ルールを作り守らせます。

しかし、記事で紹介されている通り、路上演奏がなかったら欧米、いや日本でもここまで音楽文化が根付かなかった、といっても過言ではないと思います。

物事に絶対的な善悪はありません。
路上演奏で夢を追いかけるのは素晴らしい。
しかし、国家試験の勉強を駅の待ち時間でしているときに、路上演奏が、勉強の邪魔、つまり夢の邪魔をしている可能性だってあるわけです。
夢に優劣はつけられません。

だから各々に寛容さが必要になってくると思います。
歩み寄りですね。

夢を追っかけて路上演奏してるんだから、つまらないルールなんか押し付けるな、となると秩序もへったくれもありません。
一方、路上演奏は絶対ダメと言ったら文化は衰退します。

若い頃路上演奏していた時、警察官がややってきて止められたこともありました。
警察官によっては、「ほどほどの音量とほどほどの時間までね」という曖昧な注意をする人もいましたが、これが寛容さだと思います。
こう言われると、自分たちもほどほどでやらなくちゃ、とおもうわけです。

たくさんの人が住んでいる日本で、ルールを定め、それに何が何でも従え、というのには無理があり、歪が出ます。
ゆるやかに生きたいものです。

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