家族の概念は幸せをもたらすか、不幸の種か

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家族ってよいですよね、と素直に言える人は、果たしてどのくらいいるのでしょうか。
もちろんこんな統計はないし、統計のとりようもありません。

ただ、ある程度の年齢になって出てくるいろいろな問題の多くを家族の問題が占めているという気がします。

ある女性が結婚を前提にして付き合っている男性を親に紹介する場を用意しました。
男性は地位ある職業で、収入も平均以上で安定しています。

親に紹介したあと、率直な親の感想は、「顔がイマイチ」だそうです。

もう少し突っ込んで聞くと、顔に育ちの悪さが出ている、とのこと。
会った当日は、手土産も持って、フォーマルな服装でのぞんだようですが、顔の悪さが上回ったようですね。

ほとんどの親は、自分の子供の幸せを願っています。
厳しい親も甘い親も、その行為の源泉は子供の幸せを願って、のはずです。

しかし、子供の幸せを案じるときに、人は一度きりしか生きられないので、自分の経験を参考にする傾向にあります。
ただ、ここには落とし穴があります。
生きている時代が違うということです。

何をもって幸せを感じるか、というのは同じ時代に生きた人間のあいだですら結構な開きがあるでしょうから、時代が違うとさらに大きく開き、結果全くもって理解できないような溝ができます。

ところで、この溝ができるのに良いも悪いもありませんし、そんなことを論じても意味をなしません。
大切なことは、そこには溝があるのだ、ということをちゃんと意識することです。
無理にその溝を埋めようとすると、信じられないようなエネルギーを要するし、ときにその溝に落ちて死んでしまいます。

先に生きた親世代が持っている価値観でもって、子供の幸せを案じることが、あるきっかけで全く逆作用、つまり不幸の始まりになる可能性を秘めていることを知っていることを親世代が知っていること。

今の親世代が持っている価値観は、長年積み上げてきたもので、そうそうに崩れるものでもないし、別に間違っているわけではない、と一定の理解を子供世代が思うこと。

このあたりが円満の鍵だと思います。溝を埋めるのではなく、そこに溝があることをちゃんと認めること。

ただ、私の個人的な意見を言わせてもらえば、やはり経験から物事を案じるのは危険だと思います。
いくら長いこと生きたって、隣人の人生すら理解できないのが常です。
本当は一人でも多くの人に出会って話を聞き、自分の軸を作っていくことが望ましいでしょうが、現実的にそんなことは不可能です。

その打開策は、本を読むくらいしかありません。

本を読むのと人に出会って話をするのでは、本人理解度に差がある、ということはわかりますが、かといって一生のうちに出会う人、その経験から培った哲学が普遍性を帯びているかといえば甚だ疑問です。

妥協案であることをわきまえたうえで本を読み、自己を確立していくのが、この時代に「うまく」生きていく手段の一つであることは間違いありません。

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