悪者を作れば、他は問題なし?

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痛ましい事故です。19歳というのはあまりにも早すぎます。ご冥福をお祈り致します。

この記事は、その母親の手紙を紹介したもので、同じ親という立場なので、読んでいて心が苦しくなります。もし自分の子供が、と思うだけで引き裂かれる思いです。

このニュースに対するネットの反応に驚きました。

「あんな日に車で外出する方が悪い」
「自殺行為のようなもの」

こういったコメントが多いようです。
これらのコメントは、罪と罰を混同しているように思います。

確かにあんな大雪の日に車で外出する行為、しかも薄着というのは良くない。これは罪という概念に近いものがあると思います。
しかし、だから命を落としても仕方がない、救助に行くのが遅れても悪くない、とはならないでしょう。命の軽視としか思えません。
大雪の日に薄着、車で外出するという罪は死刑に相当する罰が必要ですか。

罪にはなるかもしれませんが、相応の罰を与えればよいでしょう。罰を犯した人間には何の権利もないのならば、自転車泥棒だって死刑でよい、ということになります。
どんな物事でも、誰かが100%悪くて、そこ以外には問題はない、と片付けられることなんてありません。
今回の事案も、亡くなった方に非があるから救助体制には問題がない、ということはできないわけで、これを機に救助体制を見直す動きをしなくてはいけない、ということであると思います。

こういうのは、自己責任の履き違えだと思います。
過去に、紛争地域に入ってテロ集団に捕らえられた人がいました。そのとき、国家が人質を救出するための対策を考える必要があるかどうか、という議論が世間で起こりました。
国からの警告を無視して紛争地域に行ったのだから、救出する必要はない、自己責任だ、という主張もありましたが、私はそんなの言語道断だと思います。

これも罪と罰の問題で、国家として救出をし、相応の罰を与えるべきであって、警告無視だから死んでも知らねーよ、というのはむちゃくちゃです。

日本は高度に成熟した社会を形成しています。その中ではたくさんの犯罪も間違いも起こります。秩序を維持するために法令を犯した者に対する罰があるのは当たり前ですが、法令を犯した者からは命も、命まではいかなくとも人権も含めたすべての権利を奪うというのは、健全な社会を維持する方向に向かうとは到底思えません。

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