気を遣うことと、フレンドリーなこと

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気遣いは大切ですが、それが行き過ぎるとどうなると思いますか。

 

私の身近な人間に、とてもとても気を遣う人がいます。

気を遣うといってもいくつかタイプがあると思いますが、この人の場合は、人に介入しすぎないように、ということに最も気を遣っています。

 

電話を深夜にするのは確かに失礼かもしれませんが、夕方でも「夕食の準備中じゃないかしら」、昼でも「今のんびりくつろいでいるときじゃないかしら」と考えます。

ではメールではどうかというと、メールはマナーモードでないと着信音がなるので、運転中だと危ないかも、とか何かに集中していて気が散るかも、と考えます。

 

要するに、なかなか連絡をとりません。

間違ってほしくないのですが、連絡をとりたいという気持ちに偽りはないのです。ただ気を遣った結果、そのタイミングを逃しています。

 

しかし、これは傍からみるとどう見えますか。

そういう背景をしらないと、あまり連絡をしてこない人、と括られて終わりです。

連絡をされる側の人間には、もしかして嫌われてるのかも、避けられてるのかもと勘ぐられる可能性が十分にあります。

 

そして、誰も望んでいないのにそこに溝ができてしまいます。

 

それは極端、と思うかもしれませんが、実際に私知人にはこれが起きました。

気を遣った結果、関係がぎくしゃくなったのでは、何のための気遣いかわかりませんね。

 

しかし、フレンドリーすぎるのも問題です。

敬語が複雑に発達している日本語ですが、敬語は敬意を表せる一方で距離も感じさせます。

同い年同士でずっと敬語なのは、あまり仲が良くないと言えます。

だからその反動で、敬語を使わないほうが距離が近づく、フレンドリーさをアピールできます。

この辺の塩梅は難しく、特に外国人にとっては見定めが困難です。

 

以前、初対面の外国人に「キサマは何歳?」と聞かれたことがありました。

意味は通じますが、おそらく大半の日本人は驚き、不快に思うでしょう。

しかし、当の本人はフレンドリーに接しようと思って選んだセンテンスです。悪気は全くありません。

 

気を遣うこともフレンドリーなことも、「程度」がもっとも重要ですね。

そして、親密度によって段々と選ぶ言葉や態度をかえていける柔軟性を持ち合わせていることが肝要です。

 

 

親しき仲にも礼儀あり、という有名な言葉も、それを示しています。

親しさと礼儀とのバランスが大事、ということですね。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

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