「発明」は「必要」の母?

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この本、結構時間をかけて読んでいて、ようやく下巻に入りました。とにかく面白い。
本全体のテーマは、人種間での根源的な能力差はない、ということを証明すること、つまり人種間での差別には合理性がないということを証明することで、そのために人類史を学ぶ、というアプローチも受け入れやすいと思います。

下巻の前半に出てくる発明のところ、非常に興味深いです。
一般的に”必要は発明の母”と言われます。
言うまでもありませんがその意味は、何かを不便に思い、より便利なもの、必要だと思うものに思いをめぐらす過程で発明が生まれる、という意味です。

しかし、筆者は逆、つまり”発明は必要の母”だというのです。
どういうことでしょうか。

発明といえばやはりエジソン。発明王と言われるくらいなのでたくさんの発明がありますが、数ある有名な発明の一つに蓄音機があります。

エジソンが蓄音機を発明したときに、エジソンはその用途ととして遺書の録音、盲人用の本の朗読の録音、時報のメッセージの録音など10通りを挙げたそうです。
しかし、上の画像をみて想像する通り、蓄音機と言えば音楽の録音や再生が主要な目的だと思いがちですが、実はその用途は入っていません。それどころかジュークボックスに流用する者が現れ始めると、発明の品位を汚すものだと言って反対さえしています。エジソンが音楽の録音再生を「しぶしぶ」認めたのは、発明から約20年後だそうです。

私の職業である音楽もからんでいるので、とても興味深い話です。
考えてみれば音楽というのは、人類史においてもかなり初期から存在していたことは明らかになっているものの、現代ですら「なぜ音楽は必要か」という問いに明確に答えることができる人はいないでしょう。
つまり、統計上必要らしいと言えるが、生物学的な必要性は多分ありません(実際ヒト以外の動物は音楽がなくたって問題ありません)。

そんな音楽を録音したり再生したりする、という願望(必要性)が蓄音機の発明を生んだ、というのは考えにくい。
発明にはとんでもない時間と労力が必要なので、衣食住に関わるものならいざしらず、音楽では「発明の母」役は担えないでしょう。

しかし、発明されたあとの用途は、それに触れたたくさんの多様な人たちが勝手に考えます。
発明は基本一人で行いますが、使うのは多くの人達です。発明者がいくら非凡な天才でも、多くの人たちが考える用途すべてを想定するのは不可能でしょう。

結局、発明がなければその用途の広がりもないので、発明者は自分の赴くままに発明品を考えて世に出し、それを多くの人がより良いものに変えていく、という流れで、これは多くの場面で見られることだと思います。

黒ひげ危機一発という、順に樽に剣をさしていって、黒ひげが飛び出たら「負け」というゲームも、もともとは黒ひげが飛び出たら「勝ち」というルールだったという話は有名ですね。
黒ひげのゲームを考えた人よりも、それを使って遊ぶほうがより面白いルール(用途)を考えた、という意味では同様の例かもしれません。

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