手書きに価値があるとすれば

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私はテクノロジー大好き人間です。
理由は色々ありますが、最も大きい理由に「面倒くさがり屋だから」ということがあります。テクノロジーの進化は常に、利便性や効率をアップするためにあるので、面倒くさがり屋にとっては嬉しいわけですね。

手書きはほとんどしない

そんな私にとって、何かを手書きするというのは、時代遅れも甚だしい、と思っています。実際に、私の生活の中で何かを手書きすることはほとんどありません。
スケジュールも書類もすべてデータで作成します。その方が早いし正確だし、コピーや共有も楽です。
ちょっとしたメモだけは手書き、という人もいますが、それすらも私はデータ(アプリ)です。
Evernote連携ソフトである「Tevy」を使っています。

「Tevy for Evernote」のレビューのチェック、カスタマー評価の比較、スクリーンショットやその他の詳細情報を見ることができます。「Tevy for Evernote」をダウンロードして、Apple TVでお楽しみください。

紙とペンを用意する時間を考えたら、これを使ったほうが早いですね。
ちなみにパソコン使用中はEvernoteのクイックメモです。

手書きの価値

では、手書きには何の価値もなくなったのでしょうか。
少しだけ、ですが価値があると思います。

それは、手書きでないと伝わらない「何か」です。

なんじゃそりゃ、と思うかもしれませんが、それ以外のうまい表現方法が見つかりませんので、具体例を。

例えば手書きの場合、その人の字の綺麗さが把握できます。字の綺麗さでその人の何が判断できるのかはわかりません。でも字の綺麗さが何かしらの印象を人に与えるとは思います。
それから、漢字の知識もわかりますね。スマホやパソコンだと漢字を間違えることはないでしょうが、手書きだとあります。これも、漢字の知識が重要かどうか、と問われればわかりませんが、ないよりあったほうが良いですね。

データというのはよく知られているように「0」と「1」の世界ですが、本当にその通りで、何かのデータが表わすものは、データの中身を間違えて捉えられることは絶対にないし、そのデータからそれ以上の情報を引き出すことは難しい。
一方、手書きは字の綺麗さや漢字の知識など、その内容以上の抽象的な情報も必然的に表れます。
繰り返しますが、それが役に立つかどうか、ということでなく、です。

絶対にまちがってはいけない書類で、1秒でも早く終わらせたいし、人との共有などで後にも活用するのならば、手書きの出番は皆無です。しかし、何かを書くという行為はそういった目的ばかりではありません。そして、その字から人が何を感じ取るのかはわからないものです。

もちろん、フォントやレイアウトを選ぶ、というオリジナル性を出すことはできるし、手書き風フォントというものすらありますが、個人の字の癖をそのままフォントにするのは、いまのところまだムリでしょう。書き疲れた時なんかでも変化していきますしね。

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