小説を解説から先に読む、ということについて

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本にもいろんな本がありますね。
私が好んで読む本は、新書(教養書など)か小説です。同じ「本」といっても、これらは全く違うものなので、読み方も心構えも違います。

新書や教養書を読むときは、まずはじっくりと目次を読みます。目次をしっかり読めば、全体像を先につかみやすく、内容を理解するのにも役立ちます。また、読み飛ばしても良い箇所の判断にも役立ちます。
少し話がそれますが、新書、教養書の類は、一言一句すべて読む必要はないと思っています。
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一方小説を読み飛ばすことはしません。私なりの表現を使えば、新書、教養書は「何を書いてあるか」、小説は「どんな風に書いてあるか」が大切だと思っています。
例えば情景描写や食事のシーンを書く場合、素人が描写するのとプロの作家が描写するのでがまるで違います。その差が小説にとっては肝だと思うのです。

で、その小説についてですが、本編が終わると最後に著者によるあとがきや、著者とは別の人による解説が載っていることが多いですよね。もちろんそこまで私は読み切りますが、その中で(特に解説ですが)「まだ本編を読まれていないひとは、そこもお楽しみに」みたいなことを書いてあることがあります。
何を言いたいかというと、本編の前に解説を読む人を想定していることが多い、ということです。

私はたくさんの小説を読んできましたが、解説から読んだことはこれまで一度たりともありませんでした。解説を読んだ後本編を再読したことはありますが、初読は必ず本編からです。
第一、本編より前のページに解説が書いてあることなんて絶対にないので、自然に読めばその順序になります。幼い頃から読む順番を逆転させることなんて全く考えてもいませんでした。

しかし、意外に多くの解説文が、本編より先に解説を読む人を想定しています。

ということで、ものは試しで、今読んでいる本で先に解説を読んでみました。今読んでいる本は推理小説です。
ちょうど半分くらいまで読んだところですが、ちょっと後悔しています。なぜなら、もう犯人やトリックがわかりかけているからです。

今までも、本編の謎解き前に犯人やトリックがわかったことはありましたので、今回犯人やトリックがわかった要因に、解説を先に読んだということがどれだけ影響しているかは、今となってはもうわかりません。しかし疑いも晴れません。もやーっとしますね。

推理小説の面白さは、犯人当てやトリック解明だけではありません。犯行に至る背景や人間ドラマが面白いので、小説全体が面白くなくなったとは思いませんが、犯人当てやトリック解明だって面白さの一部であることは間違いありません。

確かに、解説を読んで本編に入ると、新書や教養書で先に目次を読んだときの様に読む速度が上がった気がしました。実際に上がっているのかもしれません。しかし、小説を必要以上に速く読む必要は無いというのが私の考えです。

やっぱり解説は後からが良いと思うのですが、みなさんはいかがですか?

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