本棚を買うことを考えはじめました

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私は電子書籍派です。
紙の本の方が電子書籍よりも上回っている点って、合理的な側面ではほぼないと思っています。
あえていえば、タイトル数が追いつかない、ということですが、1冊の本に絞って言えばもうほとんどありません。

しかし、実は本棚を買おうと考えています。
もちろんスマホやタブレット内のバーチャル本棚ではなく、リアル本棚です。

なぜか。
それは、子供が大きくなってきたからです。

私の読書の思い出は、物心ついた頃から始まっていました。
リビングの隣の部屋に結構大きめの本棚があって、そこにたくさんの本が並んでしました。
私はその中から適当に本を選んでは読み、難しそうだったらすぐやめて次の本を読む、といったことを繰り返していました。
断言できますが、あの頃の体験がなかったら、今のように本を読む人間にはなっていません。

面白いのは、それらの本が自分自身で買ってきた本ではなかったということ。
というか、親の本なので、幼少期の自分にはほとんど理解できなかったのに、読んではやめ、読んではやめ、を繰り返していた、ということです。

ある程度の年齢になれば、自分の趣味嗜好もわかってくるので、それに合った本を買うでしょう。
しかし、幼少期にそんなものはありません。
ただ、本を開き、書いてある文章を読む、という行為そのものを楽しんでいたのでは、と思います。
字が段々と読めるようになってくる年齢でもあったので、内容よりも「読める」ということに喜びを覚えていた気がします。
その証拠に、今でも内容は全く記憶なく、読んでいたという記憶だけがあります。

私は、幼少期はこれで良いのだと思っています。
本を読むと人生が豊かになる、ということはいろんなところで言われていることですが、それでもなかなか本を読めないひとがいます。
おそらくその理由は、本を読むという行為が習慣化できていないということではないでしょうか。

例えば、人は毎日風呂に入ります。
こういう習慣化された行為は、多少面倒だと思ってもちゃんと毎日やる人がほとんどです。
面倒でも毎日しないと気がすまない、という次元まで習慣化されている証拠です。

本当は風呂なんて毎日入らなくても、健康上特に問題はありません。
そして、風呂に入るという行為の意味や内容を考えて学んでいった、という人はほとんどいないはずです。
ただ風呂に入るという行為を毎日毎日繰り返しただけなのだと思います。

私にとっての読書は、その次元で習慣化されたものになっています。
今日は疲れたなぁ、というときでも本だけは必ず読みます。
それは、面倒と思っても、健康上問題なくても毎日風呂に入る行為と似ていて、何かを学ぼうとか、勉強しようとかいう目的とは別に、ただただ読むという行為をしないと気がすまない、のです。
もちろん、風呂に対する温泉のように、本も「今日はこれを読むぞ」という意気込みで読むことも多々ありますが。

つまり、本を読むという行為自体を習慣化させたい(ここは親のエゴですが)ために、本棚を買おうと思っているのです。
こればっかりは電子書籍では難しそうですね。

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