小室哲哉さんの引退ニュースをみて思ったこと〜その2

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—-昨日の続き—–
(昨日の記事はコチラ)

大衆的、芸術性

私が身を置いているのは、音楽業界の中でも商業音楽と呼ばれる世界です。
音楽の中では、最も認知度の高いカテゴリーになると言って良いでしょう。

商業音楽は、クラシックやジャズなどに比べてより大衆的です。
大衆的なことと芸術的なことは、時に噛み合わないと感じることがあります。
それは事実ではない、と断言したいのですが、そういう印象を持たれることは避けられないというのもわかります。

オリコンのトップを賑わす昨今のアーティストはジャニーズやアイドルが多いのですが、彼ら、彼女らが芸術的だという世間の声はあまり聞こえません。
間違いなく芸術的なのに、です。

大衆的ならば、そこからは芸術性やそれを想像させることを排除すべき、となるのでしょうか。
商業音楽の世界にいる人は、ステージに近い立場であればあるほど(もちろん一番はアーティストです)、苦労や努力、悲しみ、辛さを感じさせ「ない」のが美学とされる傾向にあるように思えます。

つまり、実際はどうかは別にして、ステージ上では笑顔で楽しそうに歌って踊ってみんなハッピー、悩みなんて全くありませーん、という雰囲気を保ち続けるべきだ、という風潮です。
それこそがミュージシャン、それこそがアーティストという見方。

しかし、当たり前ですがアーティストはみんな人間です。悩みも苦しみも辛さも日々抱えています。

みんなに思われている自分と本当の自分が乖離して苦しくなります。
その悩みすらも表には出せずに、負の連鎖が続きます。

苦しみを隠すべき風潮、終わりにしては?

本当は、こういう「実はジャニーズだってアイドルだって歯を食いしばっていろんなことに耐えているんだ」みたいなことは言わないほうが良いのかもしれません。上記風潮を加味すればそうなります。

私がこのブログを匿名で続けいているのは、実はその辺も関連しています。
匿名故に、信憑性に欠ける、その程度で良いと思われたほうが都合が良いわけです。

それを逆手にとってこの場を借りて書きますが、もうそういう風潮はなくしてよいのでは、と思います。
もちろん、ファンはアーティストに夢を見ています。
会社で嫌なことがあって落ち込んでいる時に、悩みなんかなんにもなさそうなアーティストが無害な音楽を歌いながら踊っているのを見て、「ま、いっか」と救われるといったこともあります。

しかし、なかなかたどり着けないBIGステージ上にいるアーティストも、実は同じ人間で、どこにでもいる人と同じように些細なことで落ち込んだり悩んだりしているんだ、という寄り添う姿もまた、ファンを救ってくれるのではないでしょうか。
すくなくとも、マイナス要素を全くみせないことが商業音楽の頂点を極めることの最低条件となる風潮は変わってほしいと願っています。

小室さんの引退会見

今回小室さんが引退することとなりました。
会見では、マイナス要素のオンパレードです。

  • 自分も疲れ始めてしまったところがあります
  • それまで当たり前だと思ってた仕事が当たり前ではなかったと気付き・・・
  • 芸能活動を縮小して、もう少し2人の時間を大切にするべきだったのかな・・
  • 楽曲制作が滞り、締切を3日から1週間ほど遅れるようになりました。
  • 自分が作るものは本当に優れているのか、めまぐるしく変わるエンタテインメント業界で自分の役目は何があるのか
  • 僕は芸能人になりたかったわけではなく、音楽家になりたかった
  • ヒット曲を作りたかったのではなく、好きな音楽を作りたいと思っていた
  • 今は能力は枯渇していき、自分でも飽きてきている
  • 『悔いなし』なんて言葉は出てこないです

これが、商業音楽のトップに昇りつめた人の言葉です。好きな音楽を楽しくやってきた人のように思いますか?
引退を機に、こういうことを言っても良くなった、ということなんでしょうが、逆に言えばこんなに苦しんでも引退前には言えないわけです。

それは音楽業界と世間の雰囲気がそうさせている、とも言えます。

商業音楽に身を投じる人は、苦しくても見せるな。

それは誰がいつ決めたことなんでしょうか。
そこに正しさの根拠はあるのでしょうか。
その空気が、少なくないアーティストに自らの命を絶たせることになっていたとしても、それは美学なんでしょうか。

—–明日に続く—–

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