芸術家と社会性

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 兵庫県西脇市の岡之山美術館は18日、市出身で国内外で活躍する美術家・横尾忠則さん(82)の特別展「横尾忠則 西脇幻想展」(9月28日~来年3月24日)の開催を延期すると発表した。メイン作品の制作日に美術館職員が遅刻し、横尾さんが「創作意欲が失われた」と立腹。作品制作が進まず、現状では開催できないと判断した。

私は、時間にはうるさいほうだと自覚しています。
自分自身は、記憶の限り遅刻の経験はないし、人が遅刻すると不快です。

しかし、歳を取るにつれて少しずつ考え方が変わってきました。
時間を守ることの大切さは今でも変わらず、ですが、それ以上に大切なこともある、と思うようになったのです。
それは音楽業界で働くようになってからの変化です。

芸術家と呼ばれる人のキャラクターをイメージしたときに、どんなものを想像するでしょうか。
偏屈で社会性がなく、とっつきづらい。そんな印象を持つ人もいると思います。
そして、実際にそういった方が一般人に比べて多いのは事実だと思います。

なぜでしょうか。
それは、偏屈で社会性がなく、とっつきづらくても、生み出す作品さえ素晴らしくて共感さえしてもらえれば良い、という暗黙の了解があるからだと思います。
そんなことはない、と反論が来そうですが、実際にそういった場面が多々あります。

例えばアーティストのコンサート、諸々の理由で開演時間が20分遅れただけで、特別な理由もないのにファンの人が帰ってしまう、なんてことあると思いますか?
遅れたことはだめですが、そのだめさをも上回るコンサートをみせてほしいというファンが存在し、その期待に応えるアーティストがいる、関係で成り立つ世界があるのです。

サラリーマンなど組織の中で働いている人にとっては、秩序を維持するという意味でも、時間厳守は絶対でしょう。
しかし、芸術家は違います。
どれだけ遅刻しても、社会性がなくても、個人でやっている限りは秩序維持は薄いので、極論すれば「それがいやなら俺に頼むな」といえば良いだけです。頼む側も、そんな人には頼まなければ良いだけです。

今回取り上げた記事は、芸術家の方が時間にうるさかったということでちょっと混乱しますが、職員遅刻という理由だけで制作が進まない、というのはやはり偏屈だな、と思います、一般的に考えて。
しかし、そういう偏屈さからくる不快感と横尾氏の個展をやりたいという気持ちと、どちらが上回るか、ということを美術館側は考えて、後者に傾くから、延期してでも個展を開催するということになったのでしょう。いやならやらなければ良い。

こういう話は、一般論を持ち込んでどちらが良い、悪いを話してもあんまり意味がありません。一般人ではない人が関係しているからです。

芸術家に求めるものは社会性ではありません、芸術作品です。
社会人にとって大切なことと芸術家にとって大切なことは違うのです。

もちろん、生み出す作品も素晴らしく、時間も守り、社会性もある、というのに越したことはありませんけどね。

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