制作の上での権限は誰に?

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三谷幸喜さんの作品は、どれも三谷作品独特のユーモアがあって好きです。
ファンと言うほど見ているわけではありませんが、どの作品をみても笑いと感動を与えてくれるのが良いですね。

冒頭の作品、ラジオドラマの生放送が舞台。
ドラマの新人作家、プロデューサー、ディレクター、エンジニア、役者、編成などたくさんの人が関わって本番放送が進んでいきます。
生放送だけあって、時間と戦いながらのシーンが盛りだくさんです。ハラハラドキドキですね。

私は音楽畑ですが、この作品を見るときに一番着目したのは、各々の権限がはっきりしてないと、こういったことになりかねない、ということですね。

例えば音楽の場合は
作詞/作曲⇢編曲⇢録音⇢ミックス⇢マスタリング
という過程を経ます。
その一つ一つの過程にプロがいます。
全体を統括するのがプロデューサー、権限を持っているのがディレクター、というところですね。

この作品でもそうですが、エンタメ作品や芸術作品というのは、明確なものさしがありません。
だから、各々が意見を主張し始めたら収拾がつかなくなります。
この作品ではそうなっていますね。

例えばこの作品でディレクター役をしている工藤(唐沢)が途中で暴挙に出ます。
暴挙の内容は作品を見たらわかりますが、そのことでプロデューサーの牛島(西村)から始末書を要求されます。

音楽制作に置き換えれば、録音エンジニアがディレクターに意見するということになるのですが、これはもう絶対にありえません。
繰り返しますが、ドラマも音楽も、どのような作品が良いのかがはっきりしないので、権限と責任を持つ人を明確にし、最終決定権はその人にあるのだ、ということを制作ラインの人は全員知っていないと、まさしくこの作品のようなことになるのです。

もちろんこの作品は映画なので、原作の作家の意見を無視して強引に進めるといったことが行われ、それに対抗する暴挙という特例です。
音楽でも同じく作家と呼びますが、作家が作ったメロディーをディレクター、その他関係者が勝手に変更することは絶対にできません。
たった1音でも、です。

何はともあれ、良い作品ですね

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