読解の答えは一つじゃない、って言うな

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国語の物語文の授業で、「登場人物の心情を問う」ことがよくある。しかし、教科書に掲載された文章から、子供たちが登場人物の心情を正確に読み取ることは、はたしてできるのだろうか。32校の小学校で教壇に立った現役の先生・須貝誠氏が、自身の授業経験もふまえて解説する。

私は今振り返ると、多少(かなり?)天の邪鬼の小学生でした。
だから、国語の授業で先生が
「ここでの主人公の気持ちを考えましょう」
と言ったら
「主人公に会ったこともないのにわかるわけないじゃんよ」
と思っていました。

ひねくれていますね。

しかし、実際国語の先生はなにかの折につけ
「読解の答えは一つじゃない」
みたいなことを言っていました。

つまり、わからないわけです。

時は流れ大学受験。
センター試験の現代文では、正解と不正解が明確に別れます。
この頃も同じ疑問、つまりそれが必ず正しいとどうして言えちゃうのか、という疑問を持っていました。

当時高校とは別に予備校に通っていた私は、予備校の現代文の講義も受けていました。
そのときに、衝撃を受けました。
なぜなら、予備校の現代文の先生は、主人公の気持ちを問う問題から答えを導くときに、
明確な根拠を示すからです。

センター試験は選択肢です。
なぜこの選択肢は間違っているか、なぜこの選択肢が正しいか、というのを、想像やイメージではなく、文章の中に書いてあることから導き出すのです。
つまり、とても論理的なんです。

例えば数学においては、1+1が2になるのに、「いや、他の捉え方もある」なんて言うと、ちょっとイタイ人になります。
私が受けた予備校での現代文講義は、そのくらい明確に答えを導き出せるものでした。

初等教育における読解は、どこかで「著者の気持ちを想像する」ことに焦点が当たっているように感じます。
しかし、文章には論理的な構造があり、それを論理的に読み取る力も重要、いやむしろそちらの方が重要なのでは、と思います。
少なくとも、人の考え方の多様性を認めることとまるで同様に「読解の答えは一つじゃない」なんて言うのは、日本語の文章の論理性を否定しています。

もちろん、いくつにも解釈できるような文章もあり、そこに関してはいろいろと議論があって良いでしょう。
しかし、論理的に考えて明確になる主人公の心情もあるのだ、ということは教えるべきではないでしょうか。

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