ググればわかることは教える必要ない?

スポンサーリンク

先日あるネット番組で、教育についての議論がかわされていました。
その中で、「学校教育、特に初等教育においては、ネットで調べればわかることよりも他のことを教えたほうが良い」といった主張がありました。

私も基本的にはそういう考えです。
何かを記憶することが大切ではない、とまでは言いませんが、とにかくなんでも覚える、ということよりも、「考える」ことを喚起するような教育であるべきだと思います。

しかしながら、ネットで調べられることはすべてそっちに任せておいて、とは思いません。
それは、ネットの情報の真偽がわからないから、という理由ではありません。
調べる、という過程と結果を何度も経験させる、ということが大切だと思うのです。

成熟した社会を形成している日本、その他先進国では、生きていくのに必要なこと意外に時間や労力を注ぎ込んでいる人が多くいます。
生きていくのに必要なことの一つはもちろんお金です。
しかし、お金も所詮交換価値しかないので、もっと根源的に考えると衣食住を提供する仕事についている人がやっていることが生きていくのに必要なこと、と言えます。農林水産業などがそれにあたりますね。

狩猟採集とは違って、今の食糧生産のコスパは非常に高いので、すべての人がそれに従事しなくても十分に生きていける、だからそれ以外のことに従事する人が出てきたのは自然の流れです。

何を言いたいかというと、生きてくのに直接必要なこと意外に時間や労力を注ぎ込むことは、合理性がないことかつ先進国の人が日々行っていることだ、ということですね。合理性でない何かは、大雑把に言えば「おもしろいこと」や「たのしいこと」です。

では、何をもっておもしろいか、楽しいか、ということですが、その判断に必要不可欠なのが「調べて」「知る」ことです。
逆に言えば、何かを調べたり知ったりすることなしに、物事のおもしろさ、楽しさはわかりません。

初等教育においては、何かを調べるという行為自体を学ぶべきだと考えます。
よく初等教育の中身に関して「それが将来役に立つかどうか」という判断基準を持つ人がいます。
それでいえば、小学校6年生卒業時点での知識をもっていないのに、社会で立派に生きていっている人は大勢います。
ほとんどの人は鶴亀算もわからないでしょうし、県庁所在地をすべて覚えているひとも少ないのではないでしょうか。

そうではなく、わからないことは調べて、それを知ったら面白いことがあるかもしれない、楽しいことがあるかもしれない、と感じさせることこそが重要だと思います。そこで知った知識もそうですが、その過程が、という意味ですね。

スポンサーリンク

フォローする