家庭での躾はどこまで許されるのか

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Yahoo!ニュースに掲載された暴力事件に関する記事を、過去にさかのぼって閲覧可能。重要なニュースを記録する日本最大級のアーカイブです。

学校での体罰は禁止されています。

以前から禁止ですが、最近はそのルールをさらに厳しく守らせるようになってきました。

体罰が結果的に自殺につながったという報道を皆が知ることになり、世論が動いたのでしょう。

愛のある体罰はある程度必要、という理屈は体罰を「している」方の理屈で、体罰を「されている」ほうに愛が伝わっていないこともあります。でないと自殺は説明がつきません。

愛のある体罰が必要だとしても、受ける側が愛を感じ取れるか取れないかわからない以上、一旦「全て禁止」という規制をするしか、自殺という最悪の結末を回避する方法がないわけです。
現実路線です。

さて、それでは家庭内の躾における体罰はどうでしょうか。

家庭内での躾という意味での体罰は、学校での体罰ほど規制されていないし、規制できないのが現状です。

基本理念が、家庭内のことは家庭内で、なので、他人が介入しにくい。

また、学校での体罰における、愛がある、ないの不明な点が、家庭内ならもっとわかりやすい。

つまり親から子に対する体罰は、愛がある体罰であるはずだ、というわけです。

しかし、学校での体罰と同じく、体罰を受ける側、つまり子供が、本当にその愛を感じ取れるのか、という疑念は残ります。

最近報道されている、千葉の女児虐待死の事件でも、父親は躾だと言い張っています。
傍からみれば、その行為のどこが躾なのか全く理解不能ですが、少なくとも本人はそう思っているわけです。
おそらく、虐待行為を行っている親は、そのほとんどは躾だと言うはずです。
そして、その殆どの虐待を受けている方は、自分の為を思って躾してくれている、とは思えないわけです。

そもそも学校での体罰ですら、本当に悪意をもって暴力をふるう教師は少なく、家庭内の親と同じく、そのほとんどが愛のムチだと思います。
それでも、自殺事件が起きちゃうのです。

この理屈は、家庭内でもなんら変わりません。

いくら家庭内であっても、愛があっても、まずは「躾による体罰も一切禁止」という規制をしないと、虐待への対抗処置は難しいでしょう。

もちろん、暴力以外にも暴言や育児放棄など問題がある家庭はあります。

しかし、暴力はふるったかふるってないかはわりかし線引きしやすい。

躾という名の体罰であってもダメ、ということに一旦しないと、いつまで経っても悲しい事件は無くならないでしょう。

まずはリセットです。どこまでの体罰が許されるかは、一切をなくした後に考える、という順番がよいのではないでしょうか。

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