教育、信念、欲望、憲法

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この動画の再生数が3桁なのが悲しいですね。
もっとたくさんの人に見てもらいたいです。

教育というのは、社会の根幹をささえるシステムなので、決して特殊ではないし、特殊であってはならない。
学校内では先生から生徒への暴力(体罰)もその逆も、巷の暴力事件に比べれば許されてしまう、なぜなら教育だから。

3メートルを超える高所での作業には手すりや命綱を用意することが法律で定められているのに、組体操では必要ない、教育(の場)だから。

定時を超えて働いても残業代が支払われない、教育(者)だから。

教育という言葉には、魔法がかかっているんですかね。
憲法学者として有名な木村草太さんによると、それらの中には憲法違反のものも多々あるそうです。
ということは、教育現場では憲法すら守らなくて良い、ということになります。
こんなおかしなことはありません。

教育の議論は、信念のぶつかり合いがほとんどだと言います。
教育とはかくあるべき、といったものです。
しかし、信念には合理性がないことも多々あるし、個人差もあります。
集団教育でしかも義務教育の場に、信念を持ち込まれたら、いろいろな不具合不都合が起きることは当然です。

しかし、哲学的に言えば、信念の根本には欲望があるのだそうです。
つまり、教育はかくあるべき、と考える元は、欲望の部分だということ。
そして、欲望の部分は意外に共感できることもあり、欲望の部分を共有し、手段を議論するのがもっとも現実的です。

とにかく、教育(の場)が特殊ではないこと、だからちゃんと社会のルールに従った仕組みを取り入れること。
この辺まではすぐにでも意識さえ変わればできるのではないでしょうか。

教育現場にいる人達は、閉鎖空間にいるので、そういった発想になりにくい。
だから世論です。
教育を見直さないと、という社会風潮は、いくら閉鎖空間にある教育現場であっても、影響が及びます。

よりよい教育のために、こういった動画を一人でも多くの人に、とくに今教育現場にいるひとに見てほしいと思います。

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