常識との向き合い方

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常識や普通という概念の話です。

私は、常識や普通の感覚というのは「知って」おいた「方が」良い、と思います。
カギカッコであえて強調したのは、決して「やらなくては(従わなければ)いけないこと」ではないと思うからです。
つまり、他人に強要はできません。
組織内で強要する場合は、常識に照らし合わせるのではなく、会社の規則に照らし合わせる必要があると考えます。

人の普段の生活は、習慣の塊です。その習慣のすべてに合理性を求めるわけにはいきません。
極論ですが、人と会って挨拶なんかしなくても、特になんら影響はありません。挨拶をするべきという考えを持っている人にとっては不快の要因になりますが、それは主観であって、法律でも決まりでもありません。

では、挨拶をするのが常識だ、普通だ、という感覚を知らなくても良いのかと言われると、知っておいたほうがよいのでは、と思うのです。
知っている上であえてその常識を打ち破るのは全く問題なしだと思います。

そもそもですが、常識って大きく分けると知識マナー(礼儀)の2つに大別できると思います。

知識の方はいわゆる一般常識ですね。これもやはり知らないよりは知っておいたほうが良い、というレベルです。
見たことがないとはいえ、いまだに地球が丸いことをしらなかったら、ちょっとどうかな、と思うでしょう?
NGではなけれど、どうかなぁ、というもの。

これに対しマナーの方は、その行為が相手に不快感を与えないように、という発想で作られたもので、逆に言えば相手に不快感を与えなければ特にマナーは必要ないと考えます。

しかし、この2つがオーバーラップしていることがあるのが面倒なことです。
つまり、「マナーの知識」を知らないことをけなされることです。
繰り返しますが、マナーと知識は違います。

これまた極端な例で申し訳ないですが、印鑑を押すときに若干左に傾けて押す、というマナーがあります。

どうやら起源は、相手にお辞儀をしている様子を示すためだということですが、印鑑がまっすぐに押されていて不快感を示す人っているのでしょうか。少なくとも私は知りません。
ということは、マナー的にはこれは必要ないことです。

しかし、「印鑑は左に傾けて押す」という知識に常識をあてはめて批判する人がいるわけですね。
これが常識におけるマナーと知識のオーバーラップです。

話がややこしくなりましが、繰り返すと、だいたいこういう問題は組織内で起こります。
そして、組織の上に立つ人間は下の人間に対して「常識」を武器に指導するのは無理があるということです。
なぜその行為(この場合はマナーですね)をする必要があるのか、というところを説明しないと、そもそも合理性に欠ける常識が多々ある中では納得いかないこともたくさんあるでしょう。

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