変化は痛みを伴う

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近年、冠婚葬祭の儀式の簡略化にともない、自分の死後は「葬儀不要」「お墓はいらない」という人が増えています。しかし逝く側、送る側の思いにギャップが生じ、遺された人が苦悩するケースも珍しくありません。田…

私の置かれている状況に近いですね。
父も母も健在ですが、2人とも葬儀は直葬、墓も特にいらない、と言っています。

そして私もその方が助かるし、ずっと先に私が逝くときも同じようにすると思います。

しかし、慣例に従いたい人というのは一定数います。
特に冠婚葬祭ではそれを重視する人が多い。

日本の場合は特に、冠婚葬祭は家族の行事ではなく、親族の行事というイメージが強い。

すると、慣例を気にする人の数が必然的に上がります。

この記事にもありますが、香典や電話をいくら不要と言っても、寄越す人はいるし、電話もバンバンかかってきます。

不思議ですね。
身内に不幸があり、もっとも精神的に参っている人がいるのに、その人の意向よりも慣例を大切にするわけです。

また、この記事の場合「なんとなく位牌はあった方が良い」という中途半端さが災いしています。

人が亡くなったときにどういうことを行うか。
複数人が関わることゆえに、新しい事をしようとすると、それなりに批判を受けたり、予想外に大変だったり、つまり痛みを多かれ少なかれ伴います。

しかし、それでも自分たちはこのやり方でやるんだ、故人の遺志だし、という覚悟は必要でしょう。

この記事に出てきた人は、直葬の方が楽だ、という考え方だけで実行してしまい、逆に直葬でのデメリットはなんなのかという想像力が足りなかったのかもしれません。

何事にも良い面と悪い面があります。
もし新しいことをするのならば、そのデメリットや起こるかもしれない状況の想定くらいはしておかないとまずいでしょう。

ただ、この記事を読んで、やっぱり直葬でなくちゃんとした葬儀にしよう、というのも、これまた安直だというのも気がしますね。

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